« スクールガーデンと地域づくり | トップページ | 地域通貨は新しいコミュニケーションの道具! »

「湯の花トンネル事件」を語る~三宅修さん~

P9061796small 「藤野・図書館を考える会」主催の第42回「お話を聞く会」ゲストは、藤野在住の山岳写真家、三宅修さん。ただし、今回のお話は写真のことではなく、少年時代に遭遇し、その後の人生に大きな影響を与えた「湯の花トンネル事件」のお話。

1945年8月2日の八王子空襲で不通になっていた国鉄中央本線は、5日に復旧。新宿10時10分発、長野行き四一九列車(8両編成)は、満員の乗客を乗せて、淺川駅(高尾)から湯の花トンネルに差し掛かったところで、P51数機の銃撃を受ける。列車はトンネルに2両目客車が半分入ったところで停車。木製でできた列車では、銃弾を防ぐことはできず、60名とも言われる日本最大の列車空襲被害に。

三宅さんは、当時13才の中学2年生。学徒動員は本来は3年生からだったが、なぜか2年になった4月から三宅さんたちも動員され、浅川地下工場に通っていたそうだ。八王子空襲で缶詰工場の倉庫が焼け、その片付けを命ぜられ、トラックで焼けた缶詰を湯の花トンネル近くの峯尾氏宅の納屋に納める仕事に従事。缶詰1個とおにぎりの昼飯を食べたところに、空襲警報。列車の汽笛を聞いた。物陰に伏せる。P51が数機、列車への銃撃。煙、轟音。

P51が去った後、畑を駆け上がって、列車にたどり着く。焦げた臭い、流れる血、即死した遺体、うめき声・・・。阿鼻叫喚としか表現しようのない光景が広がっていた。

3人の友だちと峯尾氏宅に駆け戻り、戸板をはずして救護に向かう。木でできた客車は、銃撃でささくれ立ち、数多くの横穴が開いていた。さっきまで息をしていた人は、戻ったときには息絶えていた。怪我をした人を運び出す。戸板を流れる血、尿、鼻をつく臭い。「死とはこんなに惨めなものか。」

多感な年代の少年にとって、この体験により受けた衝撃は大きく、心の澱(おり)となって、その後の人生に影響を及ぼした。大好きだった山も、行くのも、見るのも嫌になった。大学生のある時期まで、全く山を遠ざけていたそうだ。

三宅さんが少年時代の過酷な体験を人前で話したのは、これが初めて。ご自身の心との葛藤を乗り越えて、私たちにつらい体験を語ってくださった。会場には、その当時、相模湖にいた方、小学校で子どもたちとこの事件について調べた先生などもいらした。歴史に学び、愚かな行為は、二度と繰り返さない。そんな覚悟が、私たちひとりひとりに求められている。(09/9/6)

|

« スクールガーデンと地域づくり | トップページ | 地域通貨は新しいコミュニケーションの道具! »