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いじめ防止条例をめぐる激論

2月28日もあと数分で終るという深夜、議員提案(文教委員会からの提案)の「いじめの防止等に関する条例」が賛成多数で可決されてしまった。

文教委員会から提案されたこの条例は、「いじめ取締り条例」ともいうべき内容になっている。
この条例は、保護者に次のような責務を課す。
「いじめを発見し、又はいじめの疑いがあると認めるときは、市、学校又は関係機関に相談し、若しくは通報して支援を求めるものとする」、「学校が行ういじめの防止等に関する措置に協力するよう努めるものとする」

市民や関係団体には、「いじめを発見し、又はいじめの疑いがあると認めるときは、速やかに、市、学校、又は関係機関に情報を提供する」という努力義務がある。

児童等(児童・生徒をいう)には、次のような役割が規定されている。
「互いに思いやり、ともに支え合いながら、いじめのない学校生活を送ることができるように努めるものとする」

重大な事態を引き起こすいじめに限らず、すべてのいじめについて、この条例は適用されるという。「いじめは絶対に悪い=いじめの根絶に取り組む」ための条例だという。
いじめで命を絶ったり、辛い日々を送ったりする子どもは、何としてもなくさなければならない。しかし、「いじめは絶対に悪い=いじめの根絶に取り組む」という短絡的な考えこそが、心の弱さや多様な生き方・考え方を認めないという圧力となり、学校現場の硬直化や、子ども、保護者、学校、市民などの間に緊張関係を生んで、かえっていじめにつながりかねないという懸念を、なぜ理解しあえないのだろう。

この条例の前文には、「私たちは相互に尊重しあえる社会の実現を目指し」と書かれ、基本理念には、「市全体でいじめの防止に取り組むこと」と書いてある。しかし、拙速な議論と内容の不備を指摘し、継続した議論を求める11人の議員の意見に耳を貸そうともせず、何としても4月1日の施行にこだわる議員たちが、強引に可決させてしまった。これではこの条例の趣旨に相反するではないか。
現在、相模原市議会では、議会基本条例の検討を行っている。市民に開かれた議会をめざし、市民参加についても議論している。しかし、今回の条例の検討は、市民に非公開の部会で行われた。市民意見交換会を開催し(これは評価に値する)、参加した市民から条例案に対する賛否両論の貴重な意見をいただいたが、その意見は一字一句たりとも反映されることはなかった。残念でならない。
そもそもこの条例がめざす「いじめの根絶」なんて、本当にできると思っているのだろうか。
大人社会にもいじめはある。
学校は社会の縮図であり、閉塞感や緊張関係が漂う大人社会や格差社会は、子どもにも影響する。
「子どもにいじめのない学校生活を送るよう努めなさい」という前に、私たち大人がわが身を振り返るべきではないか。

子どもたちが、自己肯定感や自己有用感(集団の中で自分がどれだけ大切な存在であるかを自分で感じ取ること)をもてるよう見守り、支えてあげること。緊張した人間関係をゆるめて、ゆったりと生活できるようにしてあげること。

それこそが大切。

そして、家庭の経済状態や家族のあり方に関係なく、どの子ものびのびと遊べて、学びたいだけ学べる社会をつくる必要がある。

今、必要なのは、いじめの取締りではなく、「子どもの最善の利益」を第一に考え、子どもの権利をちゃんと保障していくことである。

求められるのは、「子どもの権利条例」。そして、子どもが安心して
SOSを発信できるよう、学校の外に第三者機関の「子どものオンブズパーソン制度」をつくることだと考える。

いじめ防止条例は通ってしまったが、市は来年度から本格的に「子どもの権利条例」を検討していく。子どもが守られ、生き生きとのびやかに生活できる、そんな相模原市をめざして、今後も活動していきたい。(2014・3・1)

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